淡家朴『よりぬきzig12月号』(2020)
読書は前頭葉が活字に寝そべるイメージ。
2019.12.1
ロシア産の赤魚を購入。カレーにする。
2019.12.1
日本はボラ、スズキ。ベトナムはバサ、パンガシウス。ロシアは赤魚。
2019.12.1
レジの労働者が、私の差し出した手の角度に対応して、微妙な角度を付けて、ゆっくりと手を離し、溢さずに小銭を渡し切る。それを私が溢さずに受け取る。これは当たり前ではない。これは驚くべきことである。奇跡である。
2019.12.2
学校の制服は正しく着ることができない人々が、アルバイトの制服は正しく着ることができるということは、教育がお金に負けているということを意味している。
2019.12.2
生殖はギャンブルである、か。生命倫理は思想である、か。
2019.12.2
倫理に普遍性を求める、ということは、本質的に革命を望んでいる。か。
2019.12.2
ラグビーが盛り上がった年だと言われても、私は一切そのことで盛り上がっていないのだけど。なんか感じ悪いです。
2019.12.2
スポーツ自体は好きでも嫌いでも無いが、スポーツを右翼的ナショナリズムの熱を逃す道具として使うのは、インチキだと思う。
2016.12.2
あくまでも仮の、例え話として、「子育て、というものは基本的に、MDMAキメセクよりも気持ちいい。」という言説があったとする。
しかし、こういうことを、言わなければならないのではないか、という仮説。
性教育と、薬物教育を考える。ダメ絶対などというダサいアフォリズムでは無意味なのではないか、と思う。
ただし、アジア人の身体で、性に基づけば、の話。
セロトニン、エンドルフィン、オキシトシンが大量分泌され、細胞が射精する。
健全な狂気について、教育や学知の整備が、整って居なさすぎるのではないのか?などと夢想する。酒の飲み過ぎ。
2019.12.2
朝。女子高生が三人、自動車道路を自転車で並走している。これは、人類が戦争をしてきたということの名残を明確に残しているといえる画だ。
2019.12.3
10億円が当たるという。しかし、10億円は100キログラムなので、頭上に落下すると、人は死ぬ。
2019.12.3
鼓膜と視神経と、少しばかりの実存主義思想さえあれば、生きていける。あとは、暴力がないことを祈るだけ。
2019.12.3
共感と軽蔑を意図的に履き違えた上で、差別意識の発露でしかないような特殊な可笑しみを他者に強要する。それが、今のテレビ、特にバラエティ番組に顕著な、暴力的構造です。
2019.12.3
おしっこを漏らしちゃう乳児と、放射能を漏らしちゃう原子力発電所。
2019.12.4
乳児が泣く。不快を取り除いて欲しいという実践的要求である。不快の原因を推量し、実践する。その繰り返し。
2019.12.4
この国の若者は、幸せに暮らすことは容易かもしれないが、どのタイミングで結婚をし、どのタイミングで育児をすれば最も幸せか、あるいはそれをしない場合と、する場合では、幸せの度合いがどのように変容するのかについて、完全に無知である。そして実際、それは分からない。そうデザインされている。
安倍という男を見ていれば分かる。自分だけ、自分の世代だけ良ければ良いと。それだけを考えて政治を行なっている。残された多額の借金と、大量の高齢者と、放射能だだ漏れの原子力発電所。そして、不安定にも幸福な不感症の、精神を病んだ若者たち。この国は、もうじき終わる。
これからの日本は、どうすればいいか。
答えは、一つだけである。
大麻と阿片を解禁しなければならない。
そして、安楽死を解禁しなければ。
2019.12.4
「平均寿命が延びた」というのは、「人間の生命体としてのコンディションが進化した」というのではなく、「老いぼれながら、患いながらも、ずるずると延命することができる技術が進歩した」というだけなので、そこのところを履き違えないように。
2019.12.5
流行性感冒の抗原を打ったところが、非常に腫れて痛い。
2019.12.8
実家。こんな辺鄙なところに家がありましたみたいな趣旨の下らないテレビ番組が、殆ど爆音といってよい耳障りな音量で流されている。親がカキフライを何個揚げるかで揉めている。
2019.12.8
弊タブララサが、後天的コンテンツ「意のままに動かせる右手」を発見したようで、右手ばかり見ている。
Bluetoothスピーカーで、Coldplayの新譜『Everyday Life』を流しながら、生まれたばかりの子をあやす。それは、2019年の冬の出来事である。
性対象を認識し、性欲を表現するということ。このことは、もっと慎重に行われなければならないはずなのだが。
「○○に依存するのは良くない」というのは、塩と蛋白質と水だけを摂取しているという人だけが語ることができる贅沢な警句だ。電気、火、糖分に依存している人は、弁えて、黙れ。
煙草や酒に依存することをバカにする権利があるのは、糖分や脂肪分の一切ない食事、つまり無味無臭の蛋白質と、水と塩だけを摂っている者だけです。
今の部署。全く尊敬のできない、寧ろ嫌いな部類の人々。15歳以上も年上の人々。物理的にも心理的にも距離のある、そんな人々に囲まれて、人間関係も殆ど育まず、よく一年も続いたものだ。ネットのおかげだと思う。職場は辛く、居場所はないが、ネットには、居場所がある。もっと大切にしたい。
一度も誰にも職場で励まされたことがない。非難か憂慮か、よく分からない一方的な冗談のようなもの。分からない。
しかし、人間は、励まされなければ、仕事などできない。挫けてしまう。なぜ、職場の人は私を励ましてくれないのだろうか。
この、かけがえのない私を、職場では誰も励まさない。このことは、もっと考えなければならない。
いや、一度だけある。酒の席で。しかし、私を励ましたその人は、職場では最も虐げられているニュアンスの人だ。
「この環境で、よく自己を保てたね」というような抱擁のような励ましを、神の労いを、私は自分で考えて自分に語りかけることしかできない。それは、誰も言っては、くれない。
2019.12.11
「現代は苛烈な競争社会だから、すぐに病むような気の弱い人は、とっとと淘汰されて速やかに消えなさい」と言って終わり、非難して終わり、憂慮して終わり、というのは、絶対におかしい。しかし、まわりはそういう人ばかりだ。
私は「甘やかせる」わけはない。ただ、私の生涯に接近した時に、それまでの経験と比較して、「甘い」と規定出来得るような感覚が起こったというだけ。それは、私に展開されるべきものではないし、私は「甘く」はない。
私の考えていることや、好きな哲学は、社会的には何も意味がないではないか、と驚いている。会議をする大人たちを眺めながら、そう思う。
資料をご覧ください。と言われて、その資料を見なければならない、というのが何か、いやだな。そうしない。
それなら、モンハンをした方がいいかもしれない。
生きると、さまざまな問題に発展する恐れがあり、極めて危険である。生きるのは、安全性に問題がある。
生命を前提にしなければ、安全も危険もない。生命を前提にするということは自明なので言う必要はないという妄想、パラノイアだ。
2019.12.12
性器性のある話し方をするのは、よくない。
性器的パロールを使う女性は、インチキだ。
性器的な声を使い挨拶をする。リズムが生まれる。
それこそが依存のリズムだ。中毒のリズム。
鰐の手足、牛の性器、オットセイの睾丸、豚の頭蓋、兎の胴体、モンシロチョウの羽根などを縫い合わせキメラを作り。丸焼きにして正月の親戚の集まりに持参するという計画。
「指導してくださった先生方、先輩方、仲間や後輩たち、そして何より家族の支えがあったからこそ、今の自分があります」そういう台詞を、本気で言っている。そして、それは批判されないだろう、肯定されるだろうと本気で信じている。パラノイアキッズたち。
そこに私は、教育を見ない。あるのは、パラノイアベースの力の認識だけだ。
パラノイアベースの力の認識は、いじめや戦争につながっている。
相手に被害妄想をさせる為だけに考えられた絶妙な声の出し方や、笑い方、目配せの仕方がある。そういうものに、やられたのだと思う。
他人を傷つける天才というのは、絶対数居て、天才的なタイミングで否定的言動をして、静かに誰かを傷つけている。そしてそのことを誰にも言わずに人生の愉しみにしている。
2019.12.13
88歳になる女性と通話した。
彼女は死病にかかっている。じきに死ぬ。それが分かって辛い。しかし、彼女の声は、先程、私のシナプスを通過した。
2019.12.14
労働の無意味さに身も心も侵食された者が、労働の意味を語り始める。
ショーペンハウアーのペシミズムがいいのは、彼が72歳まで生きたというところにある。
芥川龍之介が羅生門を書いたのが23歳、谷崎潤一郎が刺青を書いたのが24歳、ヘミングウェイがわれらの時代を書いたのが25歳、芥川龍之介が地獄変を書いたのが26歳、ヴィトゲンシュタインが論理哲学論考を書いたのが27歳。何か作らなきゃ。負けてる。
2019.12.15
コミットメントしない感じ、誤魔化す感じ、軽薄な感じ。それが、なぜ善くないのかを考えていました。
内気みたいなスタンス、慢性ノイローゼ気味みたいなスタンス。それは、悪か。
神様は充分に下品な最低な力をくれた。
生殖をすることも、戦争をすることも、貧しい国から作物を取り上げることもできる。
2019.12.16
努力や苦労の反動で、「偉そう」になってしまっている大人を、私はどうすることもできない。出来上がってしまった大人として、見るしかない。
消費しか学んでいない。消費とは何か。それは、効用の実現。有用性の顕現。退屈は苦痛となる。苦痛から逃れる為に消費をする。何かに強いられたように楽しまなければならない。そういうゲームが、もうすでに始まっている。参加させられている。
攻撃的自己表現(言い放す。押し付ける。言い負かす。脅かす。大声。命令。支配。)すれば、動くのだと相手に学習させないこと。それは、お互いの為にならない。冷静にならなければならない。パラノイアに歴史を作らせてはならない。
私は、生きている。心と身体の健康、夢、生きがい、心の拠り所、経済的自立、衛生に関する全ての、シナプスやニューロンに展開されている言語未満の知覚の契機を抱えて、生きている。
2019.12.18
不安は幸せ、疲労は幸せ、病気は幸せ、死ぬことは幸せ。
権威ある規範を疑い、我心の自由を束縛するものを認めず、他人の社会的権威に依存せず、自らその身を律することを、誓います。
この、目の前の、目には見えないけれども、たしかに、たしかにある。この、歴史において既に作動してしまっている、このすべて。この抵抗。この文明コード、心理システム、思考パターン。見える。半透明になって見える。
上半身に精神機能を、下半身に生殖機能と排泄機能を。
2019.12.19
印刷機とコミュニケーションを取る。人間機械関係を大切にしている。
職場では、頼りになる機械、尊敬できる機械に恵まれて、私は幸せです。
全身と全生涯をかけて、底の底から納得できなければ、全部切れ、塞げ、拒め。そういうことをいつでも機械は教えてくれる。機械最高。機械ラブ。
老眼鏡の広告に印刷された若い男女も、車の部品会社の人々の動きも、すべてが不可解。
音楽を聴き続ける病。
Twitter上の、那由多につぶやかれたツイートの有象無象を集めて、『兆葉集』を編纂する。
兆葉集では、全ての言説に意味があると仮定する。人間の脳が纏め上げ体系化できないが、しかしAIには見えているような、ウェブ上のシンギュラリティ言語体系。
2019.12.20
深夜2時からバイクをふかす国道の非行少年たちと、早朝5時から玉を突く公園の老人たちは、ほとんど同じダイナミクスで動いている。
国道の非行少年たちも、公園の早朝老人たちも、いずれも集団の生命のケア。そしてそれは、かつてのネアンデルタール人が滅んだ理由でもあるし、オーストラリア大陸、アメリカ大陸の大型動物相が絶滅した理由でもある。
キングクリムゾンの、『21世紀の統合失調症の男』(1969)を聴きながら、朝食。
Tポイントカードお持ちですか?という店員の問いを三回ほど聞き返して、分からんと首を振る老人。おそらく、その質問を成り立たせている「ティーポイントカード」という音のもつ可能性を知らないのだろう。
2019.12.21
「「何かを肯定している自分を肯定している自分」を肯定している自分」」を肯定している自分、を肯定している。
別にそうしなくてもいいけれど、そうしないのは寂しいよね…。みたいニュアンスで、他者を束縛する愛着障害者。
愛情や信義などをめぐって複雑化した構造的な葛藤、煩悶。こういうものを癒す合法的な特効薬はない。代替えとなる可能性は、自己破壊や自己解放の類い。
癒しとは、生は死んでしまうのだということを明確に意識することだ。
2019.12.22
私が、今ここに確かに意識があって、生きているのだということを、他者に認知してもらおうと思っていた、それだけだったはずなのです。
2019.12.23
Black Santa Claus Is Coming To Town.
「自分の言葉」という現象。
忘れているという無の状態から、発言する直前には、想起しているということ。
2019.12.24
「クリエイティブに、個性的に生きるのが善い」と思わさせられて、クリエイティブ風味の商品を買わされている。既に発動してしまっている歴史の駆動因に巻き込まれて。
職場で読書中、上司に「何読んでるの?」と尋ねられたので、「レヴィナスです。」とお答えすると、「?」な顔をされたので、「レヴィナスっていう哲学者の本です。」と付け加えると、「哲学者かぁ〜」と言われ、何か少し恥ずかしい気分になりました。
「職場で哲学しちゃってる人」的スキームが俄かに生じて、恥じ入る。
2019.12.25
エレベーター内。歯磨き粉とシャンプーと唾液のような臭いがする。
職場の日本人の男、女、その顔の構成、骨、皮膚の具合、血の流れ、細胞、二重螺旋構造、シナプス、神経伝達物質、分子、原子。全てを忘却します忘年会。今年もお疲れ様でした。
人間の前身の細胞60000000000000個。人間の脳の容積1400cc。
2019.12.26
どれだけ可愛らしく着飾ったアイドルも、内臓がぐちゃぐちゃに詰まっているのだ。
2019.12.27
ノイズを聴き言語化するパラノ技術。電波筆記。ノイズに耳を澄ませる。幻聴を摑まえる。飛んでいるので、わさっと摑まえる。
生まれさせたこと。つまり出生が既に虐待であるということは、忘れてはならない。
将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。
2019.12.28
テレビ番組。「運動神経悪い芸人」というもの。これは、身体障害者の揶揄を助長する笑いだ。
私は何者である必要もなかったし、また、何者でもなかったということ。
紅白歌合戦。何を見せられているのかが分からなくなり、一瞬気を失いそうになる。これが、日本の音楽か。嘘だろう。
2019.12.31