淡家朴『芸術的障害者』(2019)
Foo Fightersの「Best Of You」(2005)を聴いて、こんなにも涙が溢れてくるのは、何故だろうか。
カートコバーンが、散弾銃を自分の頭にぶっ放して死んだ時から、デイブグロールは、彼の心の闇を引き受けていたのかな。
私が生まれて、一つだけ悲劇があるとするならば、私はパトロンを遠ざけてしまう歪んだ(芸術的)本性だったこと。
私は今、一人で私の芸術に向き合っている。
(そんなことはバカにされるのだろう)
こんなに分かろうとしているのに、一体何が不満なのだと怠惰の中で、キッと睨みつける。
箸にも棒にもかからない芸術なんて、
自惚れの象徴的行為だな。
私は口を開けば、何か偉そうだと顰蹙を買う。
だって、偉いんだもの。
私は、社会が嫌いなのに、引きこもりをする勇気が無かった為に、社会に出てしまった。
故に、365日24時間考えなければならないと自分を脅迫し続けていることがある。
私は芸術的障害者だと思う。
私は私の芸術に関して、他者に気を遣われるのが一番憎い。彼らは、そうやって結局は上に立とうとするのだ。
私は写実や模写が嫌いだ。
クソみたい絵を描きやがってと思う。
壮大な夢の無視、私を矮小化して、関わろうとするな、愚かだ。
そんなやつの脳天からトンネル工事用の削岩機でカチ割ってやりたい。
レッサーパンダ帽殺人事件の犯人と似たような気分かもしれない。
被っているレッサーパンダ帽をバカにされたと思い込んで、通り魔に及んだ彼の気持ち。
私には分かります。
レッサーパンダ帽だからって、バカにするなよ。
信義をバカにするな。