承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『革命血行』(2019)

 

私の心内の革命は、朝晩、其の往来を繰り返して居ます。時に病的に溢れ、時に啞鬱いで、潮の干満の様に常に流動して居ます。私に出来る事は、其れを書く事です。読んだ分だけの文を排泄して、その排泄した文で出来た肥溜めに溺れたりします。また、喃語で紡いだ妄言で山を抱き締めたりします。私は私の事を書く事によって、遠い遠い山を臨みながら、狂える下心の中に黙して澄まして居られるのです。

 

 

・革命を書いてみる

 

小規模な葛藤や、小規模な困惑、小規模な行止り、小規模な気の鬱ぎ。私は強い心を持って居る訳ではありませんので、そのような小規模な気持ちの炎症に、しばしば、思い染めてしまいます。その結果、目の前がぼんやりとして、何をしても退屈に感じてしまい、何の気のほほろぎも無く、喜びも無く、悲しみも無く、ただ少し暗い気持ちで座って居るという感じになります。

そこで、私は、自分の中の小規模な葛藤を葛藤たらしめている「自明の理」に革命を与えて、何らかのセレンディピティを得ようと考え付きます。

 

「私は、何故、死なないで居られるのか。」

 

 

・発信してみる

 

それを発信してみます。頭の中だけの革命に血を通わせてみます。今もそうですが、ネットに思惟を垂れてみます。ある人にとってそれは、ただの戯言かもしれないし、ある人にとっては、何かのインスピレーションを与えるものになるかもしれないと思いながら、発信します。そうすることで、今まで友人面をして居たような敵が離れていくかもしれないし、また、新たなインスピレーションを私に与えてくれるような知者にまみえることが出来るかもしれないから、それは私にとって大変、魅力的です。

 

 

・実際に無くしたもの

 

友人は離れていきます。当然でしょう。私が、セレンディピティを優先する余り、敬意を欠いてしまう為です。言葉で友人の内心を抉り、壊してしまう為です。目の前で、友人の落胆や幻滅を感じ取った事は何度もありますし、取り繕うことの出来ない張り詰めた空気感を何度も経験しました。結果、私は今、友人と呼べる人間は、一握りになりつつあります。そして、今後も減っていくのでは無いでしょうか。私が一方的に近づき、一方的に嫌いになるという、極めて発達障害チックな仕方で。

 

 

・実際に得たもの

 

中島敦さんが山月記によって、人虎に託した人間の弱さの様な、そんな自尊心や羞恥心の被れを得ました。私は自己崇拝、自己陶酔が日々酷くなります。そして、メサイアコンプレックスなども併発してしまいました。私は実力に見合わない自尊心を手に入れました。そして、それを態とらしく発表する傲慢さを身につけました。まるで、自己認識さえしていれば何を言ってもいいような気になっています。

悲しみを悲しみと表現出来さえすれば、ずっとサボり続けても良いのだと心底から思い染め始めました。これらは私の実際に得たものです。

 

 

・そして最後に

 

革命血行、死ぬ時まで、私は私を信じて、信じ続けて、そして誰よりも私を裏切って、私を最初に殺して、詰って、心を挫いて。革命血行。死ぬ時まで、敵を増やし続けて、敵を殺し続けて。死ぬ時まで。死ぬ時まで。