承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『よりぬきzig1月号』(2020)

 

今年初めて会った職場の人に、「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。」と挨拶しましたところ、「あー、はい。」と言われました。

新年の挨拶をして、「あー、はい。」と言われたのは初めてなので、新鮮な気持ちでした。

今はまだ、この不愉快な人間関係に耐えるしかない、のか。

 

戦争に心が負けてしまわないように文学を読み続けるパレスチナの少女のように、勤労に心が負けてしまわないように文学を読んでいるのだろう。若さとかではなく。

勤労だけではない。あらゆる生活の不安。これと戦うために文学は必要だ。

 

酒に溺れてなどいない。泳いでいる。どこまでも、泳いでいく。

2020.1.7

 

 

去年使用した勉強用ノート、8冊と半分。今年は何冊になるだろうか。

2020.1.8

 

 

他者の顔、言語の放送、元気という現象、面の皮が綺麗で、真皮にはコラーゲンが生成されている具合。

 

これは、ほとんど無限に近い遊戯である。無限に近い音楽鑑賞。永遠に続いていく虚無的行為。

無限に近づくこと。時の洗礼を受けた音楽を聴き、時の洗礼を受けた文学を読む。

 

2020.1.9

 

 

口角から目元にかけての筋肉を緊張させて、少し声の調子を上げ、頭を下げる仕草をとりながら「すぅいませぇーん、ご迷惑をぉおかけしますがぁ、しーつれーい致しますぅー」と言って電話を切る社会人。冷静に見ると、巫山戯ているようだ。

2020.1.10

 

 

心が酒浸がってんだ。

2020.1.11

 

 

「生きづらい」が初めからテーマになって書店に並んだものには、殆ど興味を惹かれない。というか、その「生きづらい」とは、おそらく違うのだ。

 

生きづらさ、で商売している人たちは、上手くやってけてそうだし。

 

「変わり者」が、「自分らしく」あるが為に「受難する」という物語。ナイスガイとしての異端。ロックンロール的説話構造。

2020.1.12

 

 

ソシオパスの主人公が、乾燥大麻を吸っているシーンを見て、日本人の身体で、これに対して何を思えばいいのか分からないなぁと。よし、50年代アメリカ文学だ、と。

 

公園に大麻が生えていたとして、その場で食べたら犯罪になるのか。どっからが「所持」ですか。

「成熟した茎と種子」というのは、どこから「成熟」でしょうか。大麻の成熟加減というか、グラデーションが分からない。THCの含有量とか、でしょうか。

「あそこに生えているのは大麻だな、食べてやろう」と思って(薬物として認識した上で)「食べた」としたら、それは、アウト?

2020.1.13

 

 

陰茎を勃起させて、真核生物ドメインの未来を考えたらいいのか。例えば、自己増殖能力、エネルギー変換能力、自己と外界との明確な隔離等、生物としての基礎的情報のそれらが、それぞれ400ギガバイトくらいの容量で、1400ccの脳髄に詰まっている。AIは民主主義国家を、シナプスのレベルで支配し始め、ヨーロッパは、もう移民を受け入れない。イスラム圏は神と共に人類最後のシナリオを選択し、アメリカでは多くの子どもたちがリタリンメチルフェニデートを処方されている。

 

サブカルもアングラもメンヘラも、そんなものは無いのではないか。あるのは、差異を求めただけの遍歴ではないか。ただ周りの人がそれはしなかったということを、ただ引き受けたというだけではない、か。しかし、しかしだ。しかし、それこそが、それこそが…。何だっけ。

 

ヘテロセクシャルの欺瞞のようなラブソングを信奉しなければならないと喧伝するテレビ。縦に壊す。

2020.1.14

 

 

若い人は機械に強いでしょう、という文脈。

 

DeAGOSTINIのジャズ特集のコマーシャル。「聴くべき」「知るべき」と連呼する。音楽に「べき」なんてねぇよ、などと思う。

2020.1.15

 

 

うんこで出来た架け橋を素足で渡らなければならない時もある。

2020.1.18

 

 

「僕らは位置について、横一列でスタートを切っ」てない、んだよね。親の経済的、社会的、遺伝的アドバンテージ、ディスアドバンテージを抱えて、別々の位置からスタートしてん。

2020.1.20

 

 

「私たち」は、どこにもいない。「或る国の共通言語を使う私たち」そういう「私たち」は、どこにもいない。「社会的虚構の上に言語によって、在るものとして表し表され合っている私たち」そういう「私たち」は、どこにもいない。

 

これ以上は、どうも味の付かなくなった私の中の深い部分の肉。そこから誤魔化しきれない腐臭が漂っている。

 

出来ないものは、出来ないままで、ずっと放って置いてしまった。

2020.1.23

 

 

ああダメだ、ああダメだ、と言いながら、日々を過ごしている。

2020.1.24

 

 

「物静かな人」いや、「(病的に)物静かな人」として、積極的に経験界をドライブしている。

 

マゾヒストは、性的に静かに座ることが出来る。

それ以上座り続けると、(経験界へ)帰ることが出来なくなる、というところで、マゾヒストは立ち上がり、動く。

 

「今まで頑張ってきた私を尊重して欲しい」という自我境界を、社会的にドライブさせることが出来る、そういう年齢に達した人たちが、欲望のまま、自我境界を実装している。

 

おしっこの匂いのするスーパーで、激安惣菜を漁る。MUSEレジスタンスを聴きながら帰る。

 

少し悪くなった鯨の生肉を切り刻んで、山椒、花山椒、胡麻胡麻油、葱油、唐辛子、にんにく、生姜、ポン酢、コチュジャンなどに漬け込んだものを食べている。多分、この調理法なら人間の肉も喰える。

 

ダサい性教育を小学生に施すより、全年齢対象のアニメーション作品のキャラクターが、「性器と肛門と尿道のない身体である」というところから変えて仕舞えばいい。つまり、性器と肛門と尿道を持ったプリキュアを放送すればいい。

 

或いは、性器と肛門と尿道をもったピカチュウを闊歩させればいい。

2020.1.28