淡家朴『幻灯キに曦』(2019)
最近の私の精神状態は、決して悪くはない。
併し、それは決して自然とは謂えない。
医者に処方された抗鬱剤を去年の倍の量を飲んで居る。
加えて、市販のトランキライザーを、用法用量を守らずに飲んで居る。
私は、自己破壊願望などない。
酒も煙草も、変な風に飲る訳ではない。
それでも、飲むのには、
気休めだけの訳ではない。
私が脳で作り出した幻想の声が、
私を襲う。
私を弱気にさせる、幻想の声。
「やめてしまえ」と。
「にげてしまえ」と。
「きえてしまえ」と。
ここ数ヶ月の私は、これまで精神生活の中心に据えて来た、文学や哲学を離れて、宗教に接近した。
宗教の実践知を身に付けようと。
「ヴィパッサナー瞑想」を、今は意識して続けようとして居る。
闘いの日々だ。
今を生きることは、とても辛い。
とても辛いことの連続でしか、ない。
家へ帰ると、妻の透き通った、美しい眼球を見るが、併し、それを通り越して、その先に、既に明日の不安がまた、私を見ている。それが、見えてしまうのが、私には辛い。
手をかけて呉れる、人々の手の温もりは、余りにも暖か過ぎて、かえって億劫となる。
私は、それほど誠実ではない。
私は、人間を生肉として欲望する。
謂わば、性欲というものにも、
私は聖人のようには振る舞えはしない。
幻を追いかけて、
幻に翻弄され、
幻にやられる。
幻灯機よ、どうか止まらないで。
私は、まだ見なければならないものが、あるようで。ないようで。