よりぬきzig1月号(2021)
「まんま」という言語の象徴的使用を習得した娘が、「泣く」などの情緒表現に加え、行為媒介発語によって、食事の実践要求をするようになった。
その度に私は、ボヘミアンラプソディを歌わなければならない。
2021/1/2
こちらから連絡しない限りは何の動きも示さない静かな人々が友人で、それ以外は何らかの利害関係を結ぼうとしているだけの貧者か、自己愛を拗らせただけの信者か。
2021/1/7
1歳児と暮らしているが、マジでスキゾキッズだ。
重度スキゾフレニア状態に、型を与える行為を、「躾」と言うのかも知れない。
「別に」とか「普通」みたいな、思春期のディスコミュニケーション。思春期当事者が、その「執着しない態度」を「知性」であると勘違いしてしまっているパターン。親が子を"心配"することを知性であると勘違いするのと同レベルの、倒錯。
去年、私が新年の挨拶をすると「あー、はい」と返事をした職場の50代の男。ずっと根に持っていて、今年は何を言うのかと構えて、今年もあえて新年の挨拶をしてみた。返答は、「うん」であった。
「あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願い致します」→「うん」というやりとり。反自然では。
私が慇懃無礼なのか。
2021/1/10
カレーかチリビーンズ作ってる時だけ生き生きしている。
2021/1/13
恋愛の、その芯を掴もうとしてそれが生殖になって、その瞬間にその恋愛は喪われて、というモチーフの中に自己を埋没させるゲーム。
突然親になってしまって大変そう。
2021/1/18
人生とは、何かに中毒になって、それ以外では、ぼーっとすることとみたり。
その時その時に作っている最中の作品に、作者自身が影響を受けてながらその生を生きている。そういう生き方への憧憬。
2021/1/21
「労働は嫌だが、お金は必要」という認知不協和の解消に心血を注ぐゲーム、の過程で、諸企業理念及びイデオロギー的理性を獲得した一般的な人。と、そうでない人。
労働疲労も、育児疲労も、全部無かったことにして笑顔でハッピーに生きるには、もうエフェドリンしか残っていないのでは。
2021/1/26
心の中のもやもやが、いよいよ病気のように感ぜられた日だった。オーバードーズの衝動を始終抱え込んだ。
宿痾との付き合い方、とんと見当付かぬまま。
生涯を閉じる分配で薬を飲みます。
私は気違いです。
2021/1/28
俺には思い出と歌がある。
2021/1/29
生きる意味がない、という幸せ。
2021/1/31