承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

よりぬきzig8月号(2020)

 

アブラゼミの背中の白い部分、なんかお母さんって感じがするのなんでかね。

 

服を脱いで裸になる時、服もまた、裸を脱いで服になっていく。

2020.8.1

 

 

存在論的カレー作り。

 

夏の曲を聴くために、夏を生きる。

 

人生の大半は、思い付かない時間と、それを待つ時間に費やされる。

 

秩序は、次の1秒で、そしてそれは常に続く。

 

「秩序は常に1秒先にある」。

2020.8.2

 

 

ただの無関心や危機管理の欠如が「やさしさ」の顔をする時がある。

2020.8.4

 

 

あなたは優しい。でも、その優しさはある種厳しい。と言われた。どの種?

 

 職場でよく哲学好きを装うので哲学専攻の人だと間違えられていた。大学では何も学んでいない。勉強が好きではなかったからだ。勉強が好きになったのは、就職して3年目の時だ。 初めてジル・ドゥルーズを読んだ。

 

人格に影響を与えられたいと思わなければ映画なんて観ない。

2020.8.6

 

 

俺はアドレリアンになる。

2020.8.10

 

 

上昇志向をひけらかしたり、知り合いが有名人だとか自慢したり、そういう類の若いかわいい自己表現欲求には絶対に敵わない、壮年中年の暗い暗い想いを、歌いたかった。

2020.8.11

 

 

明日は「炎天下の中で哲学する」という気合の入った一日なので、自律神経ぶち上げていこうと思います。

2020.8.14

 

 

日当の6000円を取って帰る。うち2000円を家に入れ、残りの4000円は酒や甘味などの嗜好品に当てる。デカダンスなので。

2020.8.15

 

 

「普通ならここで何らかの情緒表現をする」というところで、感情が想像力に上がらない、というのは、幼少期に何らかの要因で、感情を抑圧されてそれが常態になってしまった、ということ。

2020.8.16

 

 

「美味しいものを食べて鬱散する」というのは、自己の存在を味覚という生理に還元するということ。これはあらゆる依存症に通底する。

 

食、酒、煙草、ドラッグ、性的快感。他者を摂取することで一定方向の感覚汪溢へと向かおうとする顕現系悦楽。それらを全てゆるく辞退して、ゆるく出家する。ゆる出家。

 

午前中、仕事始めで「n-1」の場面が二度ほどあって、「恥の感覚=X」がじわっと湧いたのだが、グッと心の中でそのXを睨みつけたら、居なくなった。お釈迦様のお陰だった。

 

その瞬間、居合わせた人々の世界線から私は意識してズレた。一瞬間のうちに完全にdisconectした私を目撃した彼らは、居合わせながら存在を降りた私を静かに見ていた。「不思議」「奇妙」という想像力と結びつけていたかも知れない。しかしそれは違う。

 

因習的な知的営みの一切を引き受けない代わりに、壁の白い塗料に生成変化する。

 

チンパンジーほどの知能を手に入れた娘が、「機構を展開する」という身体所作を獲得し、身に引き寄せられる範囲にあるもの全ての「蓋」や「覆い」を展開し、その物質の「奥性」を「無」へ還す。例えば、ティッシュ箱の中のティッシュペーパーを全て引き出すなど。とにかく散らかす。

 

私は私自身の全てのツイートやブログ記事をアーカイブしている。そうして年末に紙媒体に出力し一年を振り返る。晩年はそれらを全てファイリングして一生を振り返る。

2020.8.17

 

 

突然に大学時代のグループラインが動き始める、という現象に未だに慣れていない。その突然のモード、スキームの発生。厭だ。無視。

 

高齢になっても仕事をリタイアさせてもらえず、炎天下、交通整理をさせられている人々。いやぁ健康長寿ですねぇ、なんて楽天的に思えない。全然笑えない。ただ資本主義社会が、「老いる」ということの「尊厳」をも搾取しているだけだ。

「死ぬまで働け老いぼれども」と資本主義社会が笑っている。悔しい。こんな世界に生きたくない。

 

私は小学校2年くらいから小学校6年生くらいにかけてラヴクラフト神話的な世界創造に全生命をかけていた。

しかしそれらは全て精通によって喪われた。そのトラウマを未だに克服できていない。完全なる神話世界を一度構築できていたのだ、という確固たる自信と、その完全なる喪失、絶望。

2020.8.18

 

 

一日中ゲームをしていたり、マスターベーションに長い時間をかけたりすると、心理的には自己受容が下がってくる(所謂、賢者タイム)。そのことで対人に対して恐怖心を抱いたり、自尊心の欠落を感じたりして億劫になることを、精神分析的には、「ベーシックフォルト」といいます。

2020.8.19

 

 

過剰適応気味になってビクビクしたり、変に反省して行動を変えようとしている。鬱気味だ。

2020.8.21

 

 

私の自律神経や交感神経やホルモンは、私のことをバカにしている。多分、巫山戯ているのだ。

 

なんとなくホワイトヘッドは読むことになるのだろうと想ってたよ。

 

自分自身の価値や幸福を、他人の意見によって測ろうとせず、病まず、健康でいろ。

2020.8.25

 

 

たとえどんなに暗い力であっても、それがコミュニケーション能力や或いは知的防衛といった対人実力社会的な化象を帯びることで、正しいということになっていく。

2020.8.26

 

 

文科省のいう「考える力」をつける教育、などではなく、「考える力を萎えさせてくる閉塞的で暴力的な現代社会の暗い暗い大人たち」の、その暗い力を上手く躱したり、ほどよく距離を取ったりする様子、戦い方というものを、子供たちに率先して見せる、ということ。

 

そんなもの社会に通用しないとかなんとウザいことを大きな声で言って子供たちを静かにさせる。そういう暗い暗い大人たちが社会で通用してしまっている所為で、神経症発達障害が増えるんです。

 

「暗く、疲れていて、不機嫌」というのが、「社会の当たり前」という今の職場の常識を私は変えたい。というか、もうそこにはいない。私だけは一人、一抜けピしてる。つもりで働きたいけれど、それが何かと日々の批判のタネになる。

2020.8.27

 

 

強い人に負け続けるくらいなら、弱い人を見下し続ける方がいい。そしてそのことを悪だと言ってるくる奴らとは戦い続け自己を貫き続ける、ということを誰にも何も言われたくない、ということで孤独を得続けてやがて死ぬ。

2020.8.30

 

 

陰キャ」って、やっぱり凄い言葉で、それは日本の教育が、「暗いもの」には道徳性がないとたえず喧伝してきたからなのだろう。

 

「高賃金、高い社会的威信、権力」をもたらす「機会」を「最大化」する為に「合理的」に行動する。というのが、「労働」という言語ゲームの、前近代的な演習課題なのだけど。そこをもう降りて、「快適な環境で、いかにお気楽に毎日を過ごせるか」にダウンシフトしようよ。と言っているだけです私は。

 

あらゆる道徳的、倫理的、社会的な説話構造を一度括弧に入れて、もっと根本的に生命を賦活するような、明るい生き方の可能性を探りましょう。というのが、ジャック・デリダの「脱構築」です。この脱構築で、社会の抜け道を探すんです。2020年に。

2020.8.31