よりぬきzig7月号(2020)
「何も言わない人たち」の、その「何」と対話する。
「Re:学生モード」プロジェクト
2020.7.1
日々の鍛錬の結果、仕事中に哲学用語が口を突いて出てきて、バカみたい。
2020.7.2
「年端のいかない少女が、赤裸々に語る性愛」みたいな文体やらモチーフやらを、月曜日の最果タヒに始まって、時は流れて金曜日、橋本治の桃尻娘に漂着する始末。
2020.7.3
2018年までに引退した、日本のポルノアイドルは、なぜ今、「天皇的」な装置となり得たのか。
私の創作意欲は、今、オウムと天皇に傾いている。
贅沢ZEROをやりながら、映画鑑賞。
2020.7.4
娘。がっつり自我芽生えてる。
パラサイトを観て、「アドホックな秩序」という感想を抱いたのは、最近読んだスラヴォイ・ジジェクの影響です。屹度。いや、浅田彰か。メイヤスーか。
2020.7.5
娘の喃語に、時折、文節の雛形のような音のリズムが混じって、少しハッとする。
2020.7.9
スラヴォイ・ジジェクというスロベニア共和国の哲学者がいる。現代社会をより愉しくパスできるユニークなものの見方を発明している。
ヘーゲル。200年前に「意識とは何か」という問いを一生懸命考えた人。この人は最終的に、哲学という営み、考えるという営みそれ自体をまとめようとした。先人の哲学のいいとこ取りをしようとした。この"いいとこ取り"は「弁証法」と呼ばれ、後の哲学者たちに大きな影響を与えた。
2020.7.14
「私は不機嫌である」と表明することで他者を動かそうとする。これが最も頭を使わずに相手を支配する仕方だ。
菩薩は仏ではない。ロックンロールである。
「そりゃそういう人もいるでしょうが」でも、今ここにこうしているこの私は、「そうではないのです」ということを正々堂々と表明するのが、実存主義です。
2020.7.16
「○○するイメージでしてみて」っていうアナロジカルな助言。これがノウハウを教えるということか。ノウハウはニュアンス。行為の枝葉の切っ先。
2020.7.18
「大切にし続ける」という同一性の幻想にとどまることと、「もう大切にしなくなったもの」をそっとそのままにしておくこと。「感謝の気持ち」というのはそういう感じ。
2020.7.19
ジャック・ラカン。20世紀後半の「精神分析」の世界へ、「言語論」を持ち込んだ精神科医兼哲学者。「無意識」から「言語」へ。それがラカン精神分析のキーワード。人間の精神世界を作っているのは、無意識以前に、言語だった。
たとえ「言語以前の世界がある」としても、そこに「言語獲得後の人間」が立ち入ることは出来ない。
2020.7.20
趣味の存在論的脆弱性を、Twitterという、これまた極めて観念的な所作によって、支えようとする。つまり、幻想の母屋を幻想の御柱によって支えようとする。
2020.7.23
凡ゆる言説(口から出た言葉や、手による言葉)に対して、「それは『そういう言い方がもう既にあるから』という理由だけで言い及ぼされてしまっている『全くのお門違い』の状態かもしれない」という視座を置く。言葉に距離をとる。デリダ。
「人格に影響を与える言葉」に素晴らしいものなど一つもない。それを素晴らしいのだと錯覚させる毒。人を狂人か宗教家に変える毒。パルマコン。デリダ。
病んでいる方が満たされているという人はいます。
病み生きがい、みたいな。
2020.7.24
何かにバーンと影響を受け、それで暫く生き延びることが出来ただけ、という経験がたまたま何度か重なってるだけの今です。
人類は今まで、「そういうことをしたら成功するだろう」「そういうことをしたら失敗するだろう」という想像力を使って進歩してきた訳だけど、もうそういうのやめない?という段階に来ている。
2020.7.25
「『生殺与奪の権を握る神になりたい』という幼児の発想で人を殺す」というのは、戦争で大量に人を殺す時の兵士の幼児退行と同じ。キューブリックのフルメタル・ジャケットとかで描かれてるやつ。めっちゃわかる。
2020.7.27
女性がよく使う、「余計なことを言わなくていい」という想像力。そしてその余計について。安定や予定調和といった伝統的な想像力と符合する。
2020.7.30
生きるとは、徳があってセロトニンに溢れている人になるということ。
2020.7.31