承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴「読み物投稿サイト scraiv第二投稿作品『妄じて放さぬ』(2019)」

 

 


これは、過去に投稿した『白身』と『程度』という題の、それぞれの作物に、『妄じて放さぬ』という散文を加えて、三部作としたものです。なお、三部作であって、三部構成ではありません。

 


 

私を妄じて放さぬもの。躁と鬱ぎ。これらに思い染めないでいるということは難しい。生きた心地がしなかったと思える者が、果たしてそれまで生きた心地を知覚していたかどうか疑わしいように、或いは、交通違反をした者が、交通違反で警察に捕まる前に、交通規則を意識していたかどうか疑わしいように。それは、ある時にかえって強く印象を与え、それ故に、かえって弱く印象を隠している。

『妄じて放さぬ』

 



二月の終わり、あの人の鼻腔を一度通ったことがありますという顔をした生冷たい風が外を歩いています。それが縁側からお邪魔して、頰に付着しました。頰を持った得体は、箸を握り締めて畳の上に座って、舐め茸の入った瓶を寄越しました。その得体は、どうしても動物ですと言いたげな無表情を湛えて、右に箸を、真ん中の茶碗を、筋肉を使って持ち上げて、とめています。
その箸を握り締めた動物は、左から舐め茸をだららっと白飯の上へ掛け、無用に箸を上下に運転さします。次の一瞬間、動物は刹那に「あ」の口を作って、水膨れの蝮のような汚い舌を繰り出して、その舐め茸飯を袋になった身体に一息に流し込みます。遅れてくちゃくちゃと不快な音を立てて、まるで噛んでいるように見せます。宛ら、老婆が噛み合わせの悪い入れ歯を面倒そうに動かすような格好で、それは食事というよりも、夏休み、ぼうやの仕方のない生への興味を引き受けた籠の中の甲虫が一人、ゼリーを抱えて途方に暮れている様子というようです。
動物は、やれやれという無表情をして、持った茶碗を置いて、右の箸を握り締めることをやめて、左の舐め茸も、もう白飯の上には掛けません、蝮の舌も納めました、袋になった身体も真っ直ぐに立てて直しました、だんだんと静かになって、また畳の上に座りました。
動物の頰に付着した風が、ぽろっと取れて、動物がまた得体に戻ったらば、風もまた、お邪魔しましたを見えない声で歌います。縁側から靴を履いて、舐め茸と白飯と甲虫の臭いをあれして、再び外の二月の集合体の中に戻っていきました。
何処からともなく、鼓の音が風を纏って、撓んで澄まして、風を膨よかな春風にさしました。

白身

 




「起きなかったことから順番に、思わないでおこうと思って暮らしているわけではない私には、起きなかったことを、実際にはなかったことのようになくさねばならないという生活上の都合がありました。つまりそれは、目の前を思うことと同時に、思わないことを思って暮らしていかなければならないという、私の意識の全てによる運転の結果として帰結した都合であり、主に私の精神の様子に印象を与えました。
部屋などのコンクリートの箱から、まずその外界へ他界して、身体を地面に向かって比較的垂直になって居なければならないこと。それから外界には他者と呼ばれる生体機構が、既に縦になっていて、これに対して一定の間隔を保って、或いは意識的に、この間隔を拡げたり狭めたりしなければならないこと。そういう組み立て合わせと同じように、全ては私を生きる意識そのものと、そこに偶さか居合わせた、筋肉、骨、血液などの群れ、そのそれらが一箇所にまとめられ、形をこしらえている。その有機的なわだかまりの一族を、私の身体だと訴えて、その人生を生活させてやらねばなりませんでした。ですから、この一回切りの生存を、私が私の身体だと曲解して、現実を現実であり、思うことを思い、思わないことを思い、知ることを知り、知らないことを知りながら、意識を、ただ一つだけあることのように思っている、この意識を、私の意識だということに意識するという意識を、謂わば、観念の強奪を、平気で取って澄ましている他者という生体機構に混じって、私も平気です。そういう平気を笑わないで、怒らないで、恐怖しないで、そして、しかし、それを、意識を、意識する意識の意識としての意識も、私を意識しない意識の意識としての意識も、私は常に平気です。平気でいることにも平気になりましたから、平気です。私の意識は、平気でした。今から過去へも未来から今への過去へも未来から今へも過去からも未来も…。」
などと、しつこく考えを巡らしている時分の内に、焚き火の煙は丸く小さく細くなっていって、一向に面白くない色をした二月の終わりの空想の虚空へ、微睡んで霧消した。
私は、背後へと踵を145.7度反転さして、透明になった母屋を見透した先の、玄関の方へと視神経を凝らした。私は、私の病を預けた脳髄の中に誇大妄想の外側に対しては、妄想以外に、神経で風景を追うことで、偶さかそこに現実を赦した。
「乳房の色をした禿げた頭を持った得体が二名、地面とは反対に重点を置いて、空へ向かって逆さまにぶら下がっている。したがって私は、歩くという、足を使った筋肉の運転を、脳内を迂回して司って、乳房の禿げ目掛けて、うわわわと右足、左足を交互に掻い繰って、それらとの肉体の間隔を縮めた。瞬間に、乳房の禿げは、私の視神経とは別の方向に意識を運転さして、私のコミュニケイトを遮った。私は、そのまま、乳房の禿げを通り過ぎゆく格好となった。乳房の禿げは、玉突き遊戯の玉の如く、左右に弾けて、その後静かに止まった。私は、頭頂部を重点にして360.7度回転し、今度は、乳房の一切を視神経に預けることなく、寧ろ、それを聴いた。すると、此方側の神経が、乳房を通り過ぎゆく格好となって、また、私の脳髄へと宣伝演繹された一連が、私の意識下で一点となって、私はまた、静かに意識になっていく…」
などと、申し訳なくなった灰の中に、喉元に出掛かった言葉を言わないで取っておきながら、私は静かに聖なる時間を空費していた。
西の空には、大きな茜の集合体が、烏をまとめて演奏指揮している。私は、鼻歌を歌いながら、そこへ関与した。ただこの時だけは、誰にも阻害されないというような自由のような心持ちに、束の間、気を預けながら、私だけに焼いた内緒の根菜に静かに噛り付いて口蓋を火傷さした。

『程度』