承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『よりぬきzig3月号』(2020)

 

たとえナンバーガールのライブを生で見たとしても、そのことをSNSで発信しないでいられるような静的な力を、自称音楽好きたちは、もう取り戻せないでしょう。

でもね、音楽なんてものは、誰に伝えるわけでもなく、一人で勝手に感動して、一人で孤独な時間を堪能するものなんですよね、本来は。

私はこのアーティストのライブに参加するようなセンスがあるんですよ。しかも、昔からこのアーティストは好きだった。ね、私のセンスには同一性があるでしょう。ということを、わざわざ世界中に発信しなければ、気が済まない。なんて、おかしいよね。

 

資本主義と個人主義の親和性。SNSに上げ証明されるのは、それがただの記号消費であったということ。

でももう記号消費万歳でしょう。ズブズブだから。それなしではやってられない。自分の価値が表現できない。

自分の存在には価値があると、ネット上で表現し続けなければならない地獄。承認地獄。孤独地獄。

2020.3.1

 

窓辺の梅の花が、骨に応えるほど薫っている。

2020.3.2

 

労働者としての答え、配偶者としての答え。それはただの私の答えでしかない。ただの私の答えということは、それはその時点での一回性の生成物でしかない。

 

なぜ、生きるのか。なぜ、死ぬことを選ばないのか。毎日、毎時間、毎秒、生成してください。毎日、毎時間、毎秒。それこそ「真剣に自由に重々しく気高く選択」(小泉義之『病いの哲学』2006より)し続けなければ、本来の意味での生命を全うできない。と、考えてみる。

 

死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い死ぬのが怖い。と、毎秒思う。

隣の人にも聞いてみる。え、死ぬの怖くないんですか?え、死ぬの怖くないですか??

 

例えば、コミュ障というのは、ある社会関係において生成された一回限りの現象でしかない。無人島に独りで立つ時、いや、月面に独りで立つ時には、コミュ障は永遠に生成されない。

だから、そんな瑣末なことではなくて、月面に独りで立った後に、いかに生を充実させられるか、ということを大きく考えてみる。

2020.3.3

 

 

「年休をあまり取っていない」ことを、勝ち誇ったように話す人。

 

性器やセックス。或いは、マスターベーションを表象する「手話」はあるのだろうか。

 

性器も肛門も尿道もないポケモンという生物的表象を飼育するという経験が、ユートピア思想につながる。

 

これからの人生、様々なことを経験せず、自信を付けず、逃げてください。現実ではなく、永遠に向かってください。それこそが、人生です。というのが、ユートピア思想。

2020.3.4

 

 

グランツーリスモの中に入っている観念の車を走らせる。

 

個人的に静かに独特に幸福に生きる権利を邪魔する人とは、戦います。

場合によっては生命の破壊を目的に行為することも辞さない。

2020.3.5

 

 

匿名性とエロス。モザイク処理されたヴァギナ。スマホモニターに対峙して反復される射精。切断せよ。

マスターベーションをやめなさい。38億人ある世界の貧困層について考えなさい。

2020.3.6

 

 

好きなもの観念。嫌いなもの身体。好きなもの音。嫌いなもの言語。

2020.3.7

 

 

思いついた行為。それが音を立てたり、大きく移動したり、或いは料金を支払わなければならないものでない限りは、思いついた行為、全てをやる。

2020.3.8

 

 

「瞳を閉じればあなたが瞼の裏にいる」という歌詞。間違えている。閉じるのは瞼だ。瞳は瞳孔だから、閉じられない。

2020.3.9

 

 

少し人生を変え、それを相互監視者に訂正される。それを、反復する。

 

その「え」という音は、行為者の全身体を揺るがせ、全生涯を一度、宙吊りにさせる。

 

これだけは知っておくべき重要な作品など、ない。それぞれの個人史において、重要だと思った作品が、重要だ。

なぜ、他人の人生において重要だっただけのものを、わざわざ私の人生において重要なもののように取り扱わねばならぬのか。

2020.3.11

 

 

アスリートとかいう他人の人生の映像を観ることを愉しいと思わない。そして、そのことを誰にも憂慮されたくない。憂慮するならば、私は全生涯をかけてその価値観と闘争をする。徹底的に粉砕、解体することに命をかけてもいい。

こわい。何をするか分からない。何を考えているか分からない。おかしな人たちが群れてそれを正しいと言う。私には正しいと思えないことを正しいと言い、反対意見を封殺して澄ましている。それがオリンピックに対するイメージ。

オリンピックとは、うんこを食べている映像を見せられて、ほらお前も性的に興奮しろと脅迫されるようなことである。

2020.3.15

 

 

世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら歩め。 フリードリヒ・ニーチェ /『反時代的考察 第三部』(1875)

2020.3.16

 

 

笑う時に手を叩く職場の人。五月蝿いので舌打ちしたら目が合った。

 

極めて個人的な日本の哲学者、一軍(存命縛り)

千葉雅也(41歳)
國分功一郎(45歳)
檜垣立哉(56歳)
仲正昌樹(57歳)
浅田彰(62歳)
黒崎政男(65歳)
野矢茂樹(65歳)
小泉義之(66歳)
永井均(68歳)
前田英樹(68歳)
内田樹(69歳)
内山節(70歳)
鷲田清一(70歳)
宇野邦一(71歳)
竹田青嗣(73歳)
中島義道(73歳)

 

図書館に通って哲学者の本を読んだり、文学的な語りで人生をまとめる訓練をネットで続けたり、そういう純粋で深い勉強が、毎日無料でできる。

散歩も筋トレも、毎日無料でできる。

毎日無料でできることに夢中になれば、毎日無双状態で生きられるのでは。

2020.3.17

 

 

三〇年前の映像。戸川純を観てる。最強に可愛い。

2020.3.19

 

 

動物の森。生殖器官の無い動物。死やセックスという臨界の無い営みの反復。モニターに接続された眼球と指。瞑想的な静寂とユートピア的悦楽。

2020.3.24

 

 

桜を撮影していた中年女性が、一瞬こちらを振り返った。それが、ものすごい真顔だった。何となく厭だった。

 

JRの駅を降りてから目的地への道程を説明をする男。その語り方が、何となく厭だった。

突然、ペニスを蹴られたら、この男はJRの駅を降りてからの説明をやめるだろう。その程度だ。

 

大学生二人組とすれ違う。「クソだわマジで」という言葉が耳に入る。思考射程の狭さを、そのまま表現したような発音だった。

恐らくバイト先か、教授などの身近な他者に対する愚痴だろう。全く内容は知らないが、容易に想像ができる。そういう音だった。

世界を閉じ、今発生している目の前のスキームだけを信じ込んで生きている。

 

いかにもセックスの後、というようなジャージ姿の男女。梅毒のような笑顔。

2020.3.26

 

 

袋小路を出る方法はない。後戻りをしようとすると、前に進んでいる。考えることをやめようとしても、やはり前に進んでいるし、返って前に進んでみようとしても、やはり前に進んでいる。止まっても止まっても、前に進んでいる。

どうすれば前に進まなくても済むかを考えているうちに、やがて前に進むことが前に進まないことだと思い始めたのだ。

 

認知不協和を解消するために、"全く論理的ではない間違った解釈"を、"出来るだけ真剣に"して生きていくという覚悟。それは、相当なものだよ。

 

非論理的で非常識的な言動をとる。それは、絶対に善くないこと。アブソリュートイービル。でもそれを、あえてする。だから、侮蔑される、涙が出るくらい。人は離れていく、いとも容易く。何故だろうか。

2020.3.28

 

 

詩人は日々の草創作によってメタの鋭さを磨きながら、自己の中の表象不可能な領域を見つめ続けている。それは、とても甘美だと思う。

2020.3.29

 

 

有名人がTwitterで故人を追悼する文化、これは本当に気持ち悪い。ひどい。

2020.3.30

 

 

健康や不健康といって色々話すこと大いに結構。めいめいやっていて。でも、私はしません。何故なら、健康も不健康も本当はそんなもの無いからです。無い話を真剣にする。パラノイアです。

 

「子どもはやがて大人になり、さまざまな経験をして、感性は成熟へ向かってゆく」という物語を、どうしても採用したくない。どうしてもそれだけはシカトしたい。

 

他に見るものがないから、桜を見る。本当はサソリが歩いていてほしいし、それを見たい。

2020.3.31