淡家朴『同期生の死』(2020)
誰か近しい人が亡くなったことを聞いた時に、筆を運ばずには居られないという性分は、まこと不謹慎である。
胸のうちに秘めて置けばよいこと。
学生時代の同期生の一人が、亡くなったという。
病死なのか、事故死なのか、あるいは、自死なのか。様々な憶測があった。
ただ、不慮のことであったということが、その子の母親から、近しい友人に伝えられたという。
発表会の打ち上げか何かの時、僕にウィスキーのオレンジジュース割りを作ってくれた。そのカクテルはウィスキーが濃くて、柑橘系の苦味が厭らしく、不味かったことを今でも憶えている。
笑うと八重歯の見える、少しハスキーな声をした、同性の恋人のいる女性だった。
同期生たちと集まって、話題になる。
「やっぱり自殺かな」とかって言い合う。
きっと、もの凄い遠くにあるということを忘れて、好きに手元のフォークを伸ばして話し合う。
こういう時に、不謹慎になってまで保とうとするものは、何なのだろうか。
「友引」という六曜の言葉があるけれど、そういう陰陽道的な気の流れのようなものを、躱そうとしているのかな。他人の死なんて、ほんとよく分からないけれど、「自分の生きているということ」を破壊するということが、いかに壮絶なことなのかを、想像したりする。
結婚をしたばかりの、仕事が上手くいっているらしい友人の一人が、同期生の死と同じ文脈で、こう言った。
「やっぱり仕事は、愉しくないとダメだね。愉しいと思わなくなったら、もうその時は自殺するよ」
そういう趣旨のことを笑って言った。
20代後半の全能感って、これくらいないと闇の淵に落っこちちゃうのかな?笑
って思ったけど、何も言えなかった。
僕が、今の仕事を「金のために厭厭やっている」って言った文脈でもあったから。
簡単な全能感と、虚栄心に裏打ちされた、力強い眼差し。未来を見据えているみたいなキリッとした顔をして、いい感じ。イキイキと、生きる力が溢れてて、最高に、最高にグロテスクだった。
でも、多分、同じように、使い方の分かってない力で、僕も人生を、メッキみたいな甘美な陰鬱さで、彩るふりに必死なのかも。
葛藤、葛藤、葛藤、最高。
死ぬんじゃねーぞ。