淡家朴『主体性からの逃走』(2020)
「社会的評価を獲得し、給料を上昇させていくゲーム」に参加してから、丸4年が経つ。
大学に入学した人が、一度も留年をせずに、大学を卒業するのと同じだけの具体的時間を経過した、ということになる。
日々、労働者として、個人の時間を差し出している組織にある「社会的評価の指標」は、その雇用形態と、それに付随する給料の多寡にある。
と、シンプルに規定して考える。
組織が用意している雇用形態は、
・派遣社員
・任期契約社員
・正社員
である。
派遣社員は、鼻に任期契約社員という人参をぶら下げられ、走らされる。
任期契約社員は、鼻に正社員という人参をぶら下げられ、走らされる。
正社員は、鼻に高給料、ボーナス、退職金という人参をぶら下げられ、走らされる。
この階級別のあるレースの中で、様々な心のやりとりに縛られ、相互監視に縛られ、心身に異常や不調や綻びを抱えさせられながら、個人の自由意志と自己責任に基づいて、続けられる。
給料に、階級の差異があるので、当然、差別もある。
職種としての専門性から、能力主義、成果主義的な空気感がある。
常に、適性をチェックされる。
能力不適応の者は、速やかに淘汰されて消えなさい、そしてその後の人生など知りません。全ては組織の存続の為、全ては組織の利益の為。
社会的活動によって、経済力を得ようとする人々が、その本質的に暴力的な構造の中に、誰一人残らずに絡め取られている様。
その様を見て、狼狽え、震え慄き、嘔吐衝動を憶えながら、何とかしている。
ふと、考えた。
「なぜ、私は、今ここにこうしていなければならないのか?」
「こうしなくてもよい別の仕方があったのではないか?」
この疑問に対する答えとして、こういうふうに考えている。
ある時、こういうふうに了解したのだろう。
「この組織の中で、私は耐えられるだろう。」
「どんなに悍ましき光景を目の当たりにしたとしても、私はきっと耐えられるだろう。」
そう私の全身体が、底の底から了解したからこそ、私は自らの玉の緒を抱き締め、二人の女の人生を捻じ曲げた。
ある女からは、子を奪った。
私はその女の支配から、構造的に死んだ。
また、ある女には、子を与えた。
私はその女の人生を、構造的に喰らった。
私がかつて、ある男から構造的に喰らわれたように、私は、その女を構造的に喰らった。
私が、ある別の男の人生に絡め取られのと同じように、また、ある別の女の人生を絡め取った。
つまり、悲劇的なマチズムの車輪に、構造的に嵌ったのだ。
魂レベルの出来事を言語化し、本気で向き合わなければならない。
その上で、どうしたいか。
どういう答えと行動を選ぶか。
考えなければならない。
そして、その先の出来事に、現在の私との同一性を見出さねばならない。
この定言命法に、根拠はない。