淡家朴『人間の寂しさ』(2019)
努力は敵を作る。
努力は価値観を作る。
「私はこれだけしたのに、アイツはしていない。」
「私はこれだけしたから、もう大丈夫だ。」
どちらの感情にも何の根拠もない。そして背後に怒りがある。
考えてみる。
「相手の方が得をしており、私の方が損をしている」という観念。
この観念を消去していく作業。或いは、「相手の方が損をしており、私の方が得をしている」という観念へ変換していく作業。こうした作業に取り組むことが、「人間として善いこと」だと学習している。
と同時に、「私の方が得をし、相手の方が損をする」という観念は、どこか「後ろめたさ」を感じさせるものであるということも意識している。
なぜか。
私は本当は、私だけが得をしたいという自己中心性を相手に悟られたくない。
なぜなら、自己中心性は、精神未成熟、及び幼児性と結びつく。
成人した人間は、それが本質を伴わない虚偽の成人であることを悟られることに恐怖している。
成人した人間に限らない。
人間は、本質的な虚偽性を他者に知られることを恐怖している。
子は親を選べず、親も子を選べない。
生まれたばかりの子は親を殺すことはできない。できたとしても、それは親が生まれたばかりの子を殺すことほど容易ではない。
ここに本質的な不平等を見る。
生きねばならない。
子は、たとえ親に嫌われていても、生きねばならない。
愛されないと分かっていても、親に愛を求めなければ、子は生きることはできない。
本当は親を好きではなく、殺したいと思っていたとしても、生きねばならない。
なぜか。
人は、「私の方が得をする」ということを考えいるのだ。