承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『よりぬきzig8月号』(2019)

 

社会的な評価を受けなくてもいい。但しそれは、怠惰ではなく、直向きな努力が必要で。

/2019 8.17

 

 

何処に居ても誰と居ても、そことは別位相に社会を持てるか、或いは、社会性を立ち上がらせられるか。

/2019 8.17

 

 

「心の余裕」がやって来るのを待つ。それは明日かもしれないし、来月かもしれない。半年後かもしれないし、十年先かもしれない。或いは、この生の外かもしれない。

/2019 8.18

 

 

これが「心の余裕」だと規定していた何らかの観念は、インスピレーションかもしれないし、セレンディピティかもしれないし、モチベーションかもしれない。一つの言葉に偏重することで、精神生活はクリアカットなものになるが、しかしそれは視野狭窄とも思考停止とも言い換えられ得る。

/2019 8.18

 

 

「継続する」というかたちでの表明されること。他方で「辞退する」というかたちで表明されること。それに対して良し悪しを決め付ける私たち。ほんとうに、出来ることはそれだけなのか。

/2019 8.18

 

 

「有名だから」という理由だけで何故?と、思うこと。有名、とは何か。

/2019 8.18

 

 

氷河期のような現代閉塞社会において、ゲームに飽きて読書、読書に飽きてゲーム。腹減ってカップ麺。寝てスマホ構ってツイッター。のループを、なぜ怠惰だとか人としてクズだとか、負の評価をしたがるのか。それは保存食を齧って寝転んで居ただけの冬場の縄文人の暮らしと何が違うのか。

/2019 8.18

 

 

ある個人史において、ある定点に立って、過去を顧みる時の、その過去は、その定点にしかない過去だから。その過去を、前未来的に今、想像することは出来ない。

/2019 8.18

 

 

発語する直前に、その発語欲求の片隅の、隅の隅まで払底して、その言説に「何らかの自慢や自負、自己愛の発露、承認欲求の因子」が含まれて居ないかを点検する。

/2019 8.18

 

社会をそれなりに生き抜く為には、社会を肯定し続けなければならないし。それが厭だったらば、それに逸脱、背かなければならないし、の二重構造。で、踏み絵のような就職試験や面接があって、そこから先は、二重構造に強制参入後の世界。で、明日はどっちだ。と。

/2019 8.18

 

「人として当たり前のことができない」というレッテルの野蛮性、暴力性について語ることは出来ないかな。

/2019 8.19

 

「ヘラヘラして誤魔化す」=「現実にコミットしない」ってことかな。

/2019 8.19

 

「何らかのテクスチャに対してプラグマティックに関与することを避ける」か。

/2019 8.19

 

老人たちが、ドリンクバーだけを注文し、誰々が死んだとか、孫が来たとか、病院の予約がどうのと、話し始める。声が大きい。

/2019 8.19

 

無料のインフラではなく、有料のファミレスをコミュニティの場として使うところに、高齢者の社会的な承認欲求がある。

/2019 8.19

 

「きっしょ」「ムリ」「引くわ」などの発語を採用し、生態的ニッチを獲得、表明する。つまり、本能的に受精を避けている。

/2019 8.19

 

働く肩にレーニンの亡霊。

/2019 8.19

 

母のように全てを愛して貰いたいと希求しながら、他方で、自立した強い女性に対して性的に支配したいと欲望している。しかし他者とは、「母でもなければビッチでもない」存在である、という。

/2019 8.20

 

嫁さんの安産祈願に、木を買った。私の人生で木を買ったのは、これが初めて。根っこがどっしりしている。

/2019 8.20

 

現代の建築は「コンクリート」であったといわれる。コンクリートの劣化は、見た目には分からないが、突如として噴出するように粉砕するという。まさに現代人のよう。見た目には分からないが、ダメージは蓄積している。そして、いつの日か、心は壊れる。

/2019 8.20

 

「自分なりに」「自分らしく」という言葉を必死で採用して、他者に対して発語して、何とか同一性を保とうとするような努力を、今、多くの人が直向きに続けている。それはなんと儚いことだろうか。

/2019 8.20

 

例えば「胎内回帰願望」という言説を最初に考えた人が居て。その転義に賛同した人々が居て。その言葉がある程度の権威を持って残った。その後に続く第三の解釈者として、その表現を採用する、ということの有意味さ。言説の採用には、責任を伴うということ。文学的責任を。

2019 8.20

 

「やる気」みたいな観念に突き動かされていたようで。その優しい幻想の手に入れ方を、何度も忘れてしまうのは何故。

2019.8.22

 

他者の憎しみを、無意識に喰らってる私の無意識っていうのが、この観念闘争のきっかけというか、小規模なエピスメーテーの故障というか。

2019.8.22

 

私のしておいた仕事が一言も報われず、私の次にするべき仕事が一言も伝えられず。闇の中を、自分で動けと。厳しい社会です。

2019.8.22

 

他人の悲しみは何故放って置かれるのか。きっと面倒くさいからだろう。或いはどうでもいいのだ。暴力的なまでに、どうでもいいと思っている。

2019.8.22

 

劣等感やコンプレックスを、人間的欲求に注ぎ込むことは、根源的には善いことだろうか。

2019.8.23

 

経済的ディスアドバンテージや、外見的ディスアドバンテージ、知能的ディスアドバンテージを、胎児という他者へ与え得ると考えた上での「業」であるということ。これは善いことか。

2019.8.23

 

多分そういうことを直向きに考えないゲームなのだろう、か。

2019.8.23

 

家、または会社という小屋で、ペニスを飼育している。ということか。

2019.8.23

 

ファミリーカーにせよ、子供乗せ自転車にせよ、ベビーカーにせよ、抱っこ紐にせよ、それらは生殖を、具体的には勃起したペニスや、膣内射精を印象付け、喧伝する装置、モチーフであるということ。

2019.8.24

 

田舎のレンタルビデオ屋に開店待ちをキメるような人です。相当パンクチュアルでしょう。この、見るからに平凡な日常という人々も、映画を観るということ。そして、何らかのテーマやメッセージを受け取り、非日常を感じたいと思っているということ。

2019.8.25

 

国家の都合を、一旦忘れる癖をつける。

2019.8.25

 

筋肉、神経、骨、血液。が、ある知覚を有した状態の、もの。或いは、生命。

2019.8.25

 

「別にいなくていいのに、今日もいる」と、他者に白目で拾われて、無意識下に落ちる。そんな情景の一部になることが、存在意味になり得る。おはようございます。

2019.8.26

 

何故、人間は、勤務中に横になってはならないのか。人間は馬ではないから、立ったままでは休めないというのに。

2019.8.30