淡家朴『私を分かるな』(2019)
その行為自体に、完全な意味が発生する行為。
真の行為を獲得したいという欲望。
正直、色々ともう不快だ。
このブログを見る他人の目が不快だ。
このブログを見て、影響を受けて、
反応をしてくる他人が不快だ。
何度も言うが、これは「淡家朴」のブログだ。
現実の私に戻すような、全ての印象は、
はっきり言って冒涜だ。
もう見ないで欲しい。
私だけは理解者だというようなものはあってもよいが、いやいやそれは「淡家朴」へのリアクションとして、正式な手順を踏め。正式な手順とは、そのあなたの作品を作れ。
朝、起きたら嫌悪感があった。
やはり他人の目を気にしている私自身にも、
それして何より他人の目だ。
そして、自分の目は、まさか他人ではないと思い込んでいるような、やはり他人の目だ。
あなたはもう関係ないのだから、
もうね、一人にさして欲しい。
そう、憂鬱に向かって、叫びたい。
理解できたなら言葉にはならないはずだ。
誤解できたから言葉にできたのだろう。
理解ができたら、筆をとれ。
私の憂鬱を矮小化するな。
あなたは何も知らないのに。
分かったような気になるなよ。
つけあがるなよ。
一つだって歌を聴いていないくせに。
一つだった絵を見ていないくせに。
作っていないくせに。