承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『職場内言論統制』(2019)

 

今の職場で、

「ネガティブな口癖を直せ」

というハラスメントを受けています。

 

 

私は、自明の物事を少しずらして考えたり、世間一般的な目線を採用しないということを全ての精神生活の軸足に考えています。

 

これは、私が、ただ我が儘にそうしているのではなくて、失命のリスクを回避するためです。

 

 

私は、社会に出てから、何度も自殺を考えたことがあります。

 

何故ならば、視座が人とずれているのが、命を壊してしまいたくなるほど、辛いからです。

 

 

私は、集団が厭です。

コミュニケーションも、厭です。

 

 

でも、その「厭」は社会的には許されない。

 

 

社会的には許されない強い感情を抱えて、それでも社会で生きていくのは、極めて不自然で、不健康なことだと思います。

 

 

だから、鬱病になった。

何度も、死のうと思った。

 

 

でもね。

私が死ぬと悲しむ人たちが居てくれます。

 

そのおかげで、私は生きています。

 

 

死にたいんだけど、生きていたい。

 

 

こんな矛盾を抱えて生きる術は、一つ。

「徹底的にグレる」という答えを長い時間をかけて出してきました。

 

 

私は、「まぁ」という口癖や「なんか」とか「別に」とかそういうネガティブな印象を与える口癖をよく使います。

 

その言葉の裏には、

「まぁ(別にどうでもいいのだけど)」

という思いがこもっています。

意図して、込めています。

 

だから、私のその「偉そげ」な態度が、世間のおじさまおばさまから顰蹙を買いました。

 

 

直した方が、これから社会人として、得をするよ。

直さないと、かえって、損をすることになるよ。

 

そう優しく教えてくださいます。

 

 

 

いや、でもね。すいません。

 

やっぱり、それを採用しようとは思えません。

 

 

「斜に構える」ことが、私の生にとって、極めてクリティカルな意地であるということ。

 

 

信義であるということ。

 

 

 

そんな態度だと、いつか痛い目見るよ。

 

 

そう先輩風が吹いてきます。

 

 

痛い目見たら、自殺します。

それくらい、捨て身の、私の意思です。

 

邪魔しないでください。

勝手にやりますから。