淡家朴『バースデイ・レジスタンス』(2019)
「人は、未来の前の為に過去を思い出す」というジャックラカンの言葉があります。
私たちは、誰一人として過去を持つことはできません。しかし、過去を思い出すことはできます。そして、「私とは、このような人間である」ということを他者に伝える為に、都合よく過去を思い出して語るのです。
したがって、過去とは前未来的な何かなのだと。
また、哲学者マクタガートが発表した
『時間の非実在性』(1908)という論文に、
「私たちの言う時間が間接的に矛盾しているかあるいは説明するのに不足しているので時間は存在しない」
という主張がある。
ある一点の過去にとってはそれよりも過去のことは過去であるが、その過去からの過去にとって、ある一点の過去は、未来である。
したがって、時間という概念には、清算不可能な致命的矛盾があるという論件である。
完全にうまく理解することに成功したわけではないが、それはそうだなと思う。
私の実際の心を運転として、過去の自分を思い出すということは極力控えることにしようと思う。
25年前の今日に私は生まれて、その生まれた私の25年後の未来に、私が生きていて、そこに時間は流れているわけではない。
時間など、概念に過ぎない。
そしてその概念には、多くの欠陥がある。
実体とは何か、
現象とは何か、
私のインタレストの発動は、私にスピノザやハイデガーの訳本を読ませるのだ。
あまりみんなが使っている概念に拘らなくても良いかなと。通念を棄てて生きていこう。
25歳、だからどうした?
年齢も、名前も、性別も、感情でさえも、
今の私には要らないものに見える。
そんな永訣の朝が、あってもいい。