承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『結婚障害』(2019)

 

先日、そこまで仲良くしていた覚えのない友人の結婚式へ参加した。

 

率直に言って、私は余り楽しめなかった。しかし、行かなければよかったとは思ってはいない。行ってよかったと思った。色々と現場の空気感を知ることができ、実践演習となった。二人には感謝している。

 

私はいくつか、精神の糜爛を伴った。その精神の糜爛について敷衍して、少しでもこの結婚式という愚かしいオママゴトへの理解を深められたらば良いかと思う。

 

 

高校時代の友人が、大阪で結婚式をやった時、

私は強い感銘を受けた。行ってよかったと、心の奥深くで、私の声がしたことを覚えている。

まず、会場の雰囲気が良かった。明治時代の西洋建築の洋館を居抜きした結婚式場で、アンティークな内装、静かさの中に、高尚さや気品を保存したような印象があった。

そして、なんといっても料理や酒が美味かった。それだけで、金と時間をかけて、やってきた甲斐があったと思えた。

また、演出が良かった。華美な演出はなく、淡々として落ち着きがあり、何というか極めて都会的な印象を受けたといえば、何となく伝わるだろうか。とにかく、司会者や、従事者に優しく温もりのあるオーラが漂っていた。

 

 

それに引き換え、今回の結婚式は、どうだろうか、建物はありきたりなコンクリートに化粧をしただけというような現代建築、飯はクソまずい、そして司会者が、その辺のうるさいババアを引っ張ってきたような下品なもの、演出も内容も、極めて鳥肌が立つほどダサく、目も当てられないようなものばかりだった。

 

 

飯が不味かった。

 

一皿目、構えたカメラを止めた。

 

これ、写真撮るほどでもねーわ。

 

ちょっと高めのレトルトのソースを絡ませた少量のパスタという感じだった。

うーん、これなら「青の洞窟」のカルボナーラがいいなぁ。と思った。或いは、この結婚式場の隣に、もしジョリーパスタがあったら、今すぐこのパスタを口から吐き出して、そちらへ入店したいという気分だった。

 

しかし、残念ながら、隣にジョリーパスタはなかったので、諦めて、それを食べた。

 

 

続いて、私の口も胃腸もびっくりしたのが、刺身であった。

こんな鮮度の悪い鯛を食べたのは初めてだ。

コインロッカーに2日放置しました、みたいな刺身だった。

 

まぁ飯についてボロクソを言うのはこれくらいにして、舌の根の乾かぬうちに、司会者や演出についてボロクソを言おうと思う。

 

 

まず、司会者が厭だった。

 

どこにでもいる、おしゃべりが上手な、バカが偉くなりました、みたいなオバちゃん。

世間体は良いんだけど、夫を尻にしいて、子供にもあまり好かれていないというような、まぁ勝手なイメージだが、それくらいウザいババア。

 

声が大きい。

 

そんなに張らなくても聞こえてますよー。

 

 

次に、ああ、思い出した。

 

言うのを忘れるとこだった。

カメラマンの兄さん。

見た目は、サッカー選手みたいな感じ、テンションはナオトインティライミみたいな感じ。

 

円卓の写真撮影のとき、私はそのインティライミの物言いが鼻につき、反抗した。

 

 

「ピースしてもらっていいですか?」

 

私だけ、ピースをせず無表情だったので、そう促された。

 

「厭です」と言ってみた、

 

すると、インティライミは、めんどくさいなぁという思いを顔面いっぱいに湛えた不気味な苦笑いを見せて、

「ピースお願いできませんかぁ」といった。

 

と同時に、ものすごい圧力というものをかけてきた。

 

「さっさとピースせんかい」という目力があった。

 

これには私もひるんでしまい、「思想が違うので」などと訳のわからぬ言葉を発してしまった。

 

ピースサインというと、ほら、チャーチルの印象がある。あれを想像して、私はチャーチルのようなファシズム的思想を持っていないため、ピースは断るという意味合いで言ったのだと思う。咄嗟に出た文句だったので、そこまで考えてはいなかったが。

 

 

そして実際、根負けしてピースした✌️

 

敗北。

 

 

 

結婚式の全体の印象としては、やはり新婦の思想体系を前面に反映させたものだった。

 

 

新婦の思想体系を、私はよく知らないが、新婦がスピーチにて、「人間として成長」という、ワードや、「尊敬する父、母」というワードを採用していることから、極めて性愛至上主義的、人道至上主義的なコードがあったことは確かだろう。

 

とにかく、この手の女子。

 

「一度決めたことを貫く、確固たる自己がある」

 

これは、今日の日本の教育的イデオロギーの象徴、理想形態という心性だが、まさにそれを正しく書写したような性格の新婦なのだろう。

 

 

意地が強く、確かな自分がある。

 

 

ということは、裏を返せば、

 

強情で、融通が利かず、極めて支配欲過剰、利他主義的利己主義、自己顕示欲過多、ドグマティズム…。

 

この人格性質を突き詰めれば、

他人管理的な女性を通り越して、女王になろう。理解不可のレッテルを貼った人、或いは、この人はダメだ、ソリが合わないと認識した人間とは、一切の人格を否定して通わせず、具体的な交流をも放棄するような、そういった女王的な心性の女性。

 

 

もちろん、私は新婦に対して、こういう人間だとは思っていない。何度か話したことがあるが、彼女は賢い人だ。理解の外側にある他者も認められることができる人だということは知っている。でなければ、私などを結婚式には呼ばなかっただろう。

 

世の中には、彼女のような頭の良さを備えていないまま、自己主張を続けるあまり、夫の心性を過度に侵害するような悪妻もいるだろう。バカな頭で支配欲の強い女。私の思い当たるところでは、、、うーん、やめておこう。危ない。

 

 

とりあえず、私の作り上げてきた、積み上げてきた心性の向こう側にある精神で生活をしている女性。ある意味で魅力的、憧憬的に映るが、私自身もまた、別の方向に頑なに自尊心、自意識を強く保存しているので、すべからく分かり合えないこと必定。

 

 

戦争となること請け合いであろう。

 

 

私はキンタマを妻に預けるような女々しい傀儡亭主になるのは御免被る。

 

 

 

なんとなく気が済んで来たので、そろそろ誹謗中傷的感想は、よしておこう。

 

 

末長くお幸せに。