承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『生きる意味』(2019)

 

 

生きる意味はなんですか?

と問われたら、

 

 

「死ぬのが怖いだけです。」と答えるようにしようと、思ったことがあります。

 

 

「あらゆる常套句に対して興味がない。私はそれよりも、もっと上のことを考えている。」

 

というふうに自己を演じれば、コミュニケーションが苦手であるというコンプレックスを解消できるような気になったことがあります。

 

 

しかし、その時期も通り過ぎました。

 

「次からは、こういう風に思うことにしよう」というマインドハックの賞味期限、使用期限というものは、悲しいほど早いものです。

 

 

結局、今、私が行き着きつつあるのは、仮想機構です。

 

私と仮想機構の関係。

 

仮想機構というのは、例えば神であったり、仏であったりするわけです。

 

 

私は、生まれた時から仏教に囲まれていました。お寺の生まれというわけではありませんが、ちょうど中流階級とその周辺の人々が、浄土真宗に蟠るという地域で生まれ、育ち、そして両親も、そのクラスタに帰属していたというだけです。

 

 

とにかく、信仰心というものが、心の安寧をもたらしてくれるというマインドハックだけが、情緒に濃厚な記憶として、保存されていることは確かです。

 

 

 

生きる意味はなんですか?

と、今、問われたら。

 

 

生きることに意味を求めてはいません。

今、こうして、この世に生かされておるということは…

 

と、説法を始めたい気持ちになります。

 

 

でも、本当にそうだと思う。

これは、仏教ではなくて、ロシアのある詩人の言葉ですが、

 

「人は生きるべくしか、生きられない。」

 

 

そういうことなのだと思います。