承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『心拍数の中で考える』(2019)

 

 

これは、現時点での人生の感想である。

 

 

私は、人と話すことが上手くない。

 

 

しかし、身内を観察していると、

私よりも、もっと上手くないと思う。

 

 

というのが、何を見てそう思うかというと、

 

完全に、他人付き合い用の顔を作っている。

 

つまり、「いい子」になろうという、壮絶なコミュニケーションへの態度の用意がある。

 

 

しかし、話し上手な人を観察していると、

 

ごくごく自然である。

全く、こわばって居ないし、落ち着いている。

そして、ユーモアがあるし、切り替えが効く。

 

 

これに対比して、話すことが上手くない人は、

こわばって、落ち着きがなく、

ユーモアもなくて、切り替えも効かない。

 

身近なところで、例えば兄を見ていると、

 

他人に対して、何か言わなければならないという強迫観念に駆られているように見える。

つまり、一生懸命、ユーモアや含蓄を用意しようとするのだが、残念なほど滑っている。

 

なぜかと言うと、とても表情が、かたいのだ。

 

なんというか、ゆるさがない。

発話の印象も、付け焼き刃という雰囲気だ。

 

 

 

私も、人のことを言えない。

 

私の場合は、そもそも他人に興味がない。

話しかけられると同時に、早くこの会話を終わりたいという気持ちに駆られてしまう。

 

私は、人一倍、他人からの質問を展開しないタチである。

 

なんというか、「ああ、そうです」とか、「はい」「いいえ」くらいしか思いつかない。

 

 

ただ、何か、場を繋がなければ!

というような命令は、脳からやってくる。

 

結果、どうなるかというと。

全く、会話は進まないが、心拍数及び血圧だけが上がる。まぁ、コミュ障なわけだ。

 

 

あなたはマイペースだね、などと揶揄されるが、ただ上がり症なだけだ。そして、そのことを悪びれないというだけ。上がり症を治したい思ったことがない。それより早く、この会話を終わりたい。

 

 

しかし、文を書くことならば、どちらかといえば得意かもしれない。

 

メールや手紙、ラインの文面などを打ち込むことは好きではないが、一旦手をつけると、結構内容に拘ることができる。

 

また、小論文などの添削は得意分野である。

ここは、こうした方が良いという添削のアイデアが、刹那に思いつく。

 

 

 

つまり、何を言いたいかというと。

他人と話す時に、私が会話の内容、話題の展開面を思いつかない理由は、他人と顔を付き合わせる際に、私が心拍数や血圧を無意識のうちに上げてしまうことにあるのだ。

 

 

人は物事を心臓で考えるわけではない。

 

脳で考えている。

 

しかし、脳が動くためには、血が必要である。

 

そして、血を送り込んでいるのは他でもない、心臓であるから。

 

思考と血圧の関係は、あると思う。

 

 

私はどうやら、心臓に毛は生えていないみたいだ。胸毛は人一倍、濃いのだが。