承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴 『睡眠をやめてみる宣言』(2019)

 

私は、考えている。

 

ある時にはペンを持って、ある時にはギターを抱え、ある時には手持ち無沙汰で、私は考えている。

 

私は、向き合っている。

 

今、まさに今、刻々と過ぎていく時間と、向き合っている。とりわけ、これといった理由も、目的も無い。ただ、意識があるから、成り行きで、つい向き合ってしまう。

 

 

考えても仕方がないことだとか。

考えても答えが出ないだろうとか。

 

そういう人は、きっと、何も考えない人なのだろうと思うようになった。

 

だって、私はこれまでたくさんのことを考えて、

 

仕方が、あったし。

答えも、出た。

 

 

答えに囲まれて楽しかったし、

今、答えに囲まれて、楽しい。

 

 

だから、一つ一つの事柄に、私はこれからも考えて答えを出していくのだろうと思う。

 

 

今、考えていることは、

 

何故、人は睡眠を出来事や行事のように扱うことができないのか。

 

「睡眠」の扱い方だけ、変だなと思う。

 

寝なければ、病気になってしまう。

 

とか、

 

寝なければ、思考力が低下する。

 

とか、

 

睡眠を取らなければ、まるで生きていけないように、私たちは思い込んでいる。

 

でも、本当に、そうなのかな?と思う。

 

 

睡眠だけ特別扱いするのが厭になった。

睡眠だけ絶対条件のように考えるのに飽きた。

 

 

だから、私は、今、睡眠不足になろうと頑張っている。出来るだけ、寝ないで、仕事をしてみようと思っている。

 

 

仕事中に、つい寝てしまうって、すごく憧れる。

授業中に、つい寝てしまう人たちを、すごく羨ましく思う。

 

だって、決められた行動を斜めに跨いで行動出来ることって、すごい綺麗なことだと思うから。

 

 

私は何かおかしいでしょうか。

 

でも、もう私は、誰の助言も聞かないと決めた。

 

だって、誰も私ほど、物事を考えていないことが分かってしまったから。

 

誰かの答えは、所詮、「お前ごとき」の考えだと、白けてしまった。

 

全部、自分で、自分だけの答えを用意してみようと、そんなことを思っている。