承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『頭爆発しそう』(2019)

 

 

 

私が今まで、音楽、ことCDに費やしてきた金額を、簡単に計算しましたら、300万円でした。

 

多分、楽器や、スタジオレンタル費用、ライブノルマ費用など、音楽に関する全てを合わせたら500万円くらいにはなるでしょう。

 

 

養育費に換算すると、中学生くらいまで育て上げたのでしょうか。

 

 

最近の私は、私の創作物、こと歌に関して、その愛着は病的になりつつあります。

 

 

私は、私の音楽に、金と時間と労力を注ぎまくっています。

 

 

 

しかし、誰も褒めてはくれません。

 

 

 

これは、かなり精神的に辛いことのように思います。子供を中学生くらいに育てておいて、その子供の存在を誰も認めてくれない状態、といえば、私の心中がいかに荒んでいるかということが少しでも伝わるかと思います。

 

 

 

誰かに認めて欲しいという感覚は、もはや病的なマッスとして、私の人生に堆積し、私を内面から焦がし始めました。このままでは、というか、もう手遅れなのかもしれませんが、まさに山月記の李徴の自嘲「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」のような精神潰瘍に自己を囲い込んだのかもしれません。

 

 

 

そんな虎の歌でよければ、YouTubeでzigと検索してみてください。

 

 

 

最近は、もう誰からも褒められないのが分かってきたので、目の前の現実も、全て私の妄想なのではないかと思おうと思うようになり始めました。まるで、私の精神を私自身が人質にとって、「構ってくれないと、私が離人症になっても知らないぞ。私の歌を聞いてくれないと、私が精神分裂病になっても知らないぞ」と脅しているような格好です。

 

 

自分でもブサイクだなぁと思います。

 

 

全部、自分で用意して、全部、自分が言いがかりをつけて、脳にプレッシャーをかけているだけなのに、ほとほと甲斐性無しの勘違い野郎。(誰も言ってくれないので、自分でメタ認知して言ってしまいます。)

 

 

夢野久作が、「自分の手の甲に自分で唾をつけて垢を擦り出し、自分の身体の汚さにびっくりするだけの虚しい遊び」とたとえた状態に等しいのかもしれません。

 

 

 

最近は、野良猫などに少女の姿を見て、話しかけては、彼女の言葉を脳内で作って、擬似会話を楽しんでいます。

 

 

電柱にも話しかけます。

 

カラスにも話しかけます。

 

枯れ尾花にも話しかけます。

 

 

 

全部私が作り出した妄想で、世界は初めて輝き始めます。

 

 

 

ははははははははははははは、楽しい。