淡家朴『優しい人ねって言われても』(2019)
優しい人だね。
私の中の、言われたら傷つく言葉ランキング上位を誇り続けている、まじないのような言葉です。
「やさしい」
やさしいとは、何か。
私が、他者に「優しい人だね」といわれた時の、私の心理を率直に描写すると以下のようになります、
「優しいという言葉の意味は、相変わらず分からないが、とりあえずあなたにとって何らかのポジティブな印象を与えたというのならば、当然である。何故ならば、あなたの都合を勘案して、それを考慮した上で、今こうして、あなたの都合に合わせて、立ち回っているからです。ああ、なんて当然のことを言うのか、ああそうか、私がこのように立ち回っているということを、あなたは見抜いていて、皮肉を言っているのだな、さては。」
1〜2秒のうちに、脳内の回路、シナプス、電流が、以上のように運転します。
ね、私は、優しい人なんかではないのです。
でも、一々にこういうことを私は伝えない。
「キチガイ」だと思われてしまうから。
他人にキチガイと思われてしまうことは、結構、嫌なことです。陰で女性が3人くらいで集まって、私のことを見ながら、「あの人は病気なんだよ」「奥さんが可哀想ねぇ」「子供が可哀想ねぇ」とヒソヒソ話をしている。
そういう、嫌さがあります。
だから、私は、微妙な心の調子を保ちながら、平気で、「優しい」人になって澄まして、それなりにやります。もう慣れました。
「あなたは考えすぎだよ(だって私はキチガイだから)「普通の人は、そこまで考えないよ(だってあなたはキチガイだから)」
私は、私の思慮深さを労う全ての言葉の裏、その言外に「あなたはキチガイだから」という冷ややかな視線を読み取ります。
優しい人ね(キチガイめ)
と聞こえるようになって久しいです。