淡家朴『私は面白くない人』(2019)
私は、あまり人と話したくはありません。
特にコミュニケーションが苦手という訳ではありません。むしろ、他人に媚び諂ったり、コロコロと表情や態度を変えたり、時には虚偽の評価を伝えて、相手を喜ばせたりすることに上手な、所謂「上手を言うズルい」人間であるかと心得ています。
故に、ある程度、洞察力のある人間からは、肯定的な評価をされた覚えが無いというのも事実です。(適当なことばっかり言う道化だと思われている)
なぜ、私は適当なことばかり言うのか。
それは、私が「面白くない人」だからであり、故に、人と、あまり話したくないからです。
適当に、お世辞を言って、それなりにして、適当に気持ちよくなってもらって、早く帰ってもらいたい。
そう心から思っています。
不快にさせるような言葉を伝えると、その言葉をわざわざ、相手が腑に落ちるまで、説明してあげなければならない。
その無駄な労力が、極めて煩わしいので、適当なことを伝えて(しかも適当だとは思わせない)まぁそれなりに心を鎮めてもらって、早く帰ってもらうのです。
何か、おかしいでしょうか。
私は、人とあまり話したくなく、さらに心の裏では、ほぼ全ての人々を見下して、そして悪びれもせず生きています。
悪びれもせず。
私が偶さか、精神の具合の悪い時に、希死念慮に陥るのは、「今まで、こんなに嘘をついて、こんなに人を見下してきたのだから、そろそろ死んだ方がいいのではないか」
そういった、「優しさ」が勝つ為でもあります。
日本で最も売れた大衆文学、日本人に最も読まれている作品は、実は太宰治の『人間失格』といわれています。そして、その作品の主人公は、上手を言って、上手を演じて、生きてきた、「人に失望した」人です。
そういう、「ありふれた人の闇」を、これまた適当に真似ているのかもしれません。
まぁ、何にせよ、私が面白い人ではないということは紛れもなく事実であり、それが故に、基本的には人と話をしたくない。
ゲームしてたい。
本読んでたい。
絵描きたい。
まぁ、そういうエゴが買っちゃうんです。
だって、私に構うような、あんたも、
相当、面白くない人だから。