承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『幻滅抄』(2018)

 

 私は私の身の上に置かれた事に就いて書く事しか出来無い。故に、物語を書く事が出来無い。故に、私は私の身の上に就いて熟考し、文を得る事しか、物を書く術を知ら無い。故に、私は熟考する。時に飯事を忘却せ使むる程に熟考を辞めない。熟考し厭きる迄が、私の人生其の物で在るん乎と疑う程に私は熟考を重ねる。

私は何故、熟考するん乎と、熟考して見るに、其れは矢張り私が、生く事に限界を感じて居るからで在って、全く生への拒絶で在ると考えらる。私は妻に何時も、仕事が嫌だ嫌だを言う。亦、偶さか旧い友に会っても、仕事が嫌だ嫌だを言う。話を聞くに、どうやら私の境遇は、かなり良い方で、相対優位を友に発しては、その場限りの満足を得るが、矢張り職場へ繰り出すと、左の様なカタルシス等は霧消し、亦、家へ帰っては妻に嫌だ嫌だを言う事に成るので在る。そんなに厭ならば転職すれば良いと、誰かは言う。併し、転職をして、その先で上手く行くと言う保証は何処に在る。其処で、今よりも悪い境遇と成ったら如何して呉れるん乎。転職に失敗したお詫びに死ぬまで金銭の面倒を見て呉れたらば、私は転職活動を始めるだろう。併し、そんな事は誰もして呉れぬ。私を屁垂れ、小心者、屑だと笑って澄まして居る連中だ。

私は私の死を、文に託した。其れは、先人を学ぶに、先人らは結構死にたがりで在るからでも在る。此れは私に取っては生きる手掛かりの何物でも無い。

私は、転職もしたく無ければ、無職に成る事も厭で、其の上、今よりも多くの賃金を貰いたいとも思い乍ら、併し決然として働きたくは無いのです。随て、私は死んだ様に生きて行く事を覚悟した。死んだ様に生きて行く為には、其れ成りの覚悟や気締めが要ると思って居て、其れは受動的抵抗、非暴力非服従を守る事だと決めた。私は、夢を見て居た事や、パトス的な生きる希望を持って居た事。其れを忘却せ使む事は出来ぬ事に、様々の感傷を起こす事の全てを冷却して生きて行く覚悟を決めました。故に、私は人よりも多く書物を読み、人よりも多く言葉を残して、人よりも多く歌を作り、人よりも多くの絵を描いて、人よりも多くのお酒を戴き、人よりも多く、気違いや白痴や淫売と関係して、死んだ様に生きて行く覚悟を決めた。

私は日に日に病的になる。私は日に日に、私の熟考が人より遠避かる事を覚えて居る。文体が変に成る。旧かしぽく成る。漢文ぽく成る。気違いぽく成る。左の様にするのが好きらしいです。兎に角、私は静かに独り分の思惟で生きて行くと決めたらしいのです。此れだけは誠めいて居る。

最後に、私の社会人としての気締めを述べて置く。人よりも遅く出勤し、人よりも早く退勤する。而して、仕事をして居ない時は完全に別の思惟をする。微塵も相手に迎合せず、兎に角直ぐ帰る。此れを徹底する。心労が在る時は、人に頼らず薬に頼る。少しの労働で、より多くの財貨を手に入れる事だけを考える。而して、妻と贅沢を沢山する。若し、妻が私を嫌う日が来たら、尤も、今の私は今の妻を大好きなので、其の日は死ぬ時かもしれませ淫売を買って、淫売と贅沢を沢山する。妻無いし淫売と美味しい物を食べ、妻無いし淫売と、美しい景色を眺め、妻無いし淫売と、旬な食材を料理して、妻無いし淫売と季節の移ろいに五感を喜ばせ合う。

此れが私の今の主な内心で在る。誰も彼も汚す事適わぬ無垢な私の述懐で在る。