承認欲求の骨

総合的な言語感覚を磨く練習です。

淡家朴『闇から雑穀を簸る』(2018)

 

 

私は兎角、気散いで居た。もう戻る事は出来ぬ処まで遣って来て居乍ら全く帰りたかった。

故に暗い道を、力弱く照らす陰鬱な灯りを唯一の頼りにして無視する様に渡る他無かったし、私は私の仕事と結婚とに殆ど失明して居たに相違なかった。掛る獨白に一抹だに忌憚の念抱かず、亦、飽かずにその概形へ沿い乍ら文を拵える為体。随って私は兎角、気散いで居たに相違ない。

朝、沸沸と知覚が恢復して往くと同時に私は盲導の様に陰鬱の前を歩いて気の散ぎを治癒さしなければ為らぬ。朝の陰鬱は闇から抜いた雑穀の様に、まず簸らなければ為らぬ。私の日課はこの闇に雑穀を抜き、亦、此れを簸る事に他為らない。簸れども簸れども闇を脱く事叶わぬ事も在るが、兎角こそ簸る他、術無けれ。

陰鬱の森の前にして私は気の散ぎを治療さしなければ為らぬ。疲れて倒れ込んだ夜の翌朝も、病を引き摺り回して来た夜の翌朝も、闇から雑穀を簸らなければ為らぬ。